天福寺の歴史






天福寺縁起
『当山の儀は、平城天皇・大同2年(807年)3月、弁天社と共に建立有之候也』と寺伝にある。修験僧・宥其法印(ゆうきほういん)が香嶺(こうみね)の山を選び、寺院と弁天堂を建立。旧暦3月28日に開山、落慶法要が奉修された。
同時に市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祀る香嶺神社(小峰神社)も創建され、神・仏共祭が続けられた。真言密教の法灯が引き継がれ、縣(あがた:延岡の旧称)領主・土持氏の支援を受けるようになり、文安3年(1446年)に松尾城が築かれると、寺堂・神社周辺の山は“外城”となり寺堂も改修、法灯は輝きを加えた。
小峰神社の別当寺、松尾城の裏鬼門(うらきもん)を守る寺として栄え、近隣の真言宗系寺院八ヶ寺を管理したと伝えられる。
天正6年(1578年)4月、豊後(大分県)の大友宗麟(おおともそうりん)軍に松尾城を攻撃された土持軍は敗退、天福寺・小峰神社共に消失したが、のちに再建された。当時寺堂は現在地の上段であったと伝えられる。
大正14年(1925年)に本堂が改築され、また、平成11年(1999年)に本堂・位牌堂新築により、護摩堂は本堂に移された。
御本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)その脇に観音菩薩(かんのんぼさつ)、勢至菩薩(せいしぼさつ)の阿弥陀三尊(あみださんぞん)、左には当山鎮守、八臂(はっぴ)の弁財天像、右には弘法大師空海の像が祀られている。
当山本堂に祀られる尊像は、旧本堂、護摩堂に祀られていた尊像を本堂改築の折に修繕したものである。
また、寺院駐車場には旧国道沿から遷座された石鎚大権現、青面金剛の二尊が祀られている。この二尊は寺院下段に隣接する現在の国道が整備される以前に、寺院入り口が見通しの悪い急なカーブであった事から交通事故が多発した事を憂い、四国の出身であった第七十七世 宥照(ゆうしょう)和尚が縁のある石鎚山より勧請し、祀った仏である。
寺院墓地に繋がる坂を上がると、六地蔵石仏塔、有縁無縁供養塔となる聖観音石仏が祀られている。